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子育て終了後、一生サラリーウーマンなのもいいかもしれないけど一度の人生花咲かせようと現在インドで15歳パグのペッタンと骨格調整『HSTi』の普及の為日々頑張ってます!非日常な日常で感じたことなど綴ってみたいと思います。

2011年3月24日木曜日

生きること 感謝すること

インターネットのニュースで
『生き残った罪悪感』『在外邦人が自分には何も出来ないと苦しんでいる』という記事を読んで、
想うことがあったので記しておきたいと思いました。

ある国の人々が一生に一度も地震を経験しないのに
日本人が、地震に遭遇しない可能性は皆無に等しいと思います。

今回の地震も非常に強く、非常に広範囲でたくさんの被害が出ています。
悲しみと不安の中で過ごす毎日は、こころもからだも非常に、そしてどんなにつらいことでしょう。

また、そんな折に日本中、世界中で政治を超えて助け合おうという動きも高まっていることは、
素晴らしく希望につながるがる意識の変化だと思います。
「このまま育て、育て!」と願わずにいられない。
そして、自分も今いるところで何かをしようと心に決める人が増え続けているのが、本当に素晴らしい。

ここインドで、日本で地震発生の日以来、クライアントさんや知人はもちろんのこと見ず知らずの道行く人にも
家族友人の安否を聞かれたり、
”日本大変ですね.がんばってください!”と声をかけて頂いている。
中には、日本の放射能漏れが世界の迷惑になっているとぶつけて来る人もいるのだが、
パーセンテージ的には、思いやりの言葉が99%である。
全く見ず知らずの人が、私を知っているというのも、これまたインド。
家族単位、社会的階級単位で物事を考えがちな部分も強い方だと思うので
お声をかけて頂くと、やっぱり世界は一つになりたいんだ!と希望と確信がわいてきます。

ご存じのとおり、私は今回の大地震の以前から、そして今もインドにいます。
阪神大震災の時も、
生まれ育った場所を離れて沖縄で生活していたので、そこにはいませんでした。
ラッキー…といえば、ラッキー。
決して被害にあわれた方々が アンラッキー ということをいっているのでは断じてないです。

『死』を悪いもの、『生』を良いものと定義して
それを基盤に物を考えると,ニュースの記事のような考えに行き着くのかもしれない。
でも、生き残れた,死を免れたことには、必ず何かの理由があると思う。
感謝して追求すれば、生きていることはとても生産的で前向きなものになりえる。

とはいえ、ネットの記事の内容の人々の気持ちも、なんとなくかもしれないけれど解かるのです。
インドに来て、最初の頃は「なぜ、自分が日本人に生まれて、この人たちは、ここに生まれたんだろう。」と
何カ月かは苦しくて外にも出られせんでした。

『生きること』も時として、非常につらいことでもあるかもしれません。
インドで暮らしていると,災害にあったわけでもないのに、
日本的にはかなり質素に暮らしている私でも、豪邸に住んでいるように思える状況に暮らす人々を日常的に多々目にします。

道ばたの乾燥した土の上で生まれ、
棒切れにぼろぼろのビニールシートを掛けただけの屋根の下で育ち
流れる水等ない場所で成人し
夏の摂氏50度近い炎天下、冬の夏との気温差50度近い状況で結婚し
そこで,子どもを産み育て
生まれてから砂ぼこりにまみれない日は、一日もないだろうというのが大げさでも何でもない
一生『快適さ』とは無縁に生きる人たちを多く目にします。
日本人にとっての避難所生活の不便さにしても,この人達にとっては信じられない位素晴らしい暮らしに違いないことでしょう。

ライフラインの不足は、インドでは中流階級でさえ日常のこと。
水が出ない,電気が何時間もないことは,当たり前。

わたしとて
50度の室温で空気が微動だにしない時にも
施術を続行しなければ、停電時間がどれほど続くか判るわけでもない状況にしばしば出逢います。
冬のすき間風の吹く石の床の上で体の芯まで冷えて、かじかんで感覚のない指先で
セーターを3枚重ね着した人のゆがみを探すのも慣れたとは言えないが、経験させて頂きました。

どんな状況であれ、
それでも,人はたくましく『生きる』ように創られているように思います。

誰を責めるわけでも、自慢をするわけでもありません。
人には、順応性という素晴らしい才能が備えられていると思うのです。
生きていることを、生かされていることを感謝して
備えられている才能をフルに活用して,前進していこうと思っています。

『生』が、なければ『死』もない。
『死』が、なければ『生』もない。
紙に裏がなければ、表も存在しないから、紙は存在しない。

良い・悪いの視点で定義しないで
今の自分の状況に感謝し、そこで出来ることを精一杯行動に移すこと。
そんな意識を持った人が、地球上に増えたらこの星は、更に素晴らしいところになるに違いないと思うのです。

近くにいたら何かできるのか?
感謝出来ず、行動出来なければ距離が近くてもたいした違いはないかもしれない。
離れていても、その場所で自分に出来ることを精一杯することができる。

皆が、同じことをするのが重要なのではなく
皆が、同じ目的をもってアクションすることが重要なのだから。

離れていたから、生きていられたから出来ることは、たくさんあると思う。
失われた命を想い悲しむことからは、悲しみしか生まれない。
犠牲になった命を想い、生に感謝し、自分の存在に感謝すること。
そこから、多くの物を生み出すことが出来ると、信じています。

意識のエネルギーは、全てを動かす。
愛し合い、知恵を出し合い、才能や得意なことを分かち合う。
意識のエネルギーが、行動という形になることは、とてつもなくパワフル。

一枚の紙は、すぐに破れても
電話帳ぐらい分厚くなると、そんじょそこらでは破れない。

その意識のエネルギーを、常に創造・進化の方向に保っておくことが出来れば、
それって、とっても素晴らしい!
失われた命、失った大切なものを無駄にすることなく、前を向いて共に歩いていきましょう。

今、世界の再生の兆しが見える気がします。
どうか、その『兆し』が放たれた鳥のようにどんどん高く高く昇って、そして、どこまでも、いつまでも羽ばたいていきますように!