10年以上も前のことになるが、
沖縄の陸軍基地で働いていた間に
第2次世界大戦から50年の式典があった。
沖縄から見るとあまりにもたくさんの一般人に被害が及んだ戦争。
過去の米兵たちは、何を想い参加するのか…
式典の計画を知った時期は、非常に複雑な気分だったのを覚えている。
かくして70代、80代になった過去の若き米軍兵だちが
ある者は杖をつき、義足をはめ・・・・・・再び、若き日の強烈なインパクトを与えた地に降り立った。
たまたま、働いていた部署が式典の計画・実行に大きくかかわっていたのと
その時付き合っていた陸軍兵の彼氏の関係で
ある老兵としばらくお話しすることができた。
老齢にして、無駄のない強靭な体つき。
深い想いをたたえた表情。
右手は、ピーターパンの海賊フックのように本当にカギ形に曲がった金属がついていた。
白髪の凛々しい、決して、老人という表現がしっくりしないA氏だった。
式典のプログラムの中に、希望者が座間味島にヘリコプターで行くというイベントがあり、A氏は、参加された。
争いは、国と国、民族と民族の戦争でも個人間のケンカでも
ただ、相対する意識が存在するということを証明するだけのために
時間とお金と犠牲を払うものではないかと思う。
勝った、負けたの判定がついても
決して、問題が根本的に解決したわけではない。
根を残したままの問題は、雑草のようにまた...。生えてくる。
勝った方も、負けた方も共に傷つくモノなのではないだろうか…
A氏は、戦後50年間ある想いを胸に秘めて生きていらした。
座間味島に到着して 島の人々が かつての敵兵たちを迎え対面した。
その時、一人の島の男性が、つかつかとA氏のところに迷わず歩いてきたのだ。
米兵に捕まると殺される。
そう聞かされていた母は、ぎりぎりの選択で小さな息子の命を断って
自分の命も断とうとした。
恐ろしい敵に殺されるくらいなら、せめて自分の手で楽にしてあげよう…
何という緊迫した決断だったことだろう。
このような事実は、実際数限りない程戦争の中で、今も起きて繰り返されているに違いない。
母自らの手で命を絶たれるはずだった小さな男の子は
ある米兵の必死の介護で命の流れを断たずに済んだのだった。
そして、その時小さかった男の子は、自分を助けてくれた米兵の顔を
たとえ50年経って成人した後でもしっかり認識することができた。
A氏は、沖縄戦での体験を、後に結婚した妻にも多く語らなかったそうだ。
50年間、自分の手の中で命のともしびがついたり消えたりした男の子の事を忘れることができず
まだ旅行が可能なうちにどうしても消息が知りたくて、式典に参加されたのだった。
寡黙なA氏の全てが解かったような気がした。
第2次世界大戦に勝利した米国。
その中に、ずっと戦争の悲惨さに傷ついて癒しを求めていた人がいたことの証明のように感じた。
島の男性にしても、その周りの人にしても『敵』という『絶対的な悪』のイメージは揺らいでいたに違いない。
そこには、何よりも大切な人と人の核の部分でのつながり存在したと思う。
人が、人として個人的に触れ合う時、必ず政治の矛盾を超える ~血の通った輝く何か~ が見つかるに違いないと思うのだ。
叩いた相手が、叩かれた相手を先に『こいつが叩いた!』と、
現代のマスメディアで訴えれば
先の事実は無視され、聞こえてきたことだけが固定観念として頭に残る。
全体としては、全くバランスを失ったままで情報が伝わっていく…
ある国の考えは、その国民にとっては正しいかもしれない。
そして、その国が相反する国の考えも、相反する国の国民にとっては、正しいのだろう。
力づくで一方を抑え込もうとすることに解決策がないということが顕著に見えてくる。
人の命を断った後、それをお祭り騒動のように祝うかの如く色めき立つ。
人命は、人命なのに、人を殺すことがダメという人達が、殺人を祝う。
そこには、A氏のような敵国の人でさえ人としての想いで感じる事の出来る人のすばらしさのかけらも見えてこない。
お願いだから、原点に戻ろう。
どんなことをしても、和解しよう。
そうすることによってしか、原因根絶はできない。
力ずくの方法は、逆に力ずくの方法へと発展していく。
反抗、反逆には、必ず理由があるはず。
本当に私利私益なしに
みんなが一つになることを目指せる地球にいつなるのだろうか。
その日は、遠く、実現できないようにさえ思えても…
それでも、私は今日も自分の持ち場で出来ることを力いっぱいやる決心だ。
そうする人が、少しずつでも増えてくれば
地球は、必ずいつか すばらしい生命の惑星になることを信じ続けて。
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