自己紹介

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子育て終了後、一生サラリーウーマンなのもいいかもしれないけど一度の人生花咲かせようと現在インドで15歳パグのペッタンと骨格調整『HSTi』の普及の為日々頑張ってます!非日常な日常で感じたことなど綴ってみたいと思います。

2010年7月25日日曜日

生きること 学ぶこと

インドと言えばヒンドゥ-教というほど、ヒンドゥ-人口は多い。
憲法でカースト制度が廃止されている現在も、カーストをとても気にする人口が多い。
その他にも、様々な宗教人口が共存しているのがインド。
色々な民族ごとに異なる宗教を含む文化が、混じり合っている。
旅行者には、とてつもなく魅力的な興味深い国だろう。
既に発展を遂げた国から移住すると、魅力的、興味深いプラスとめどなく不便で解りづらい国でもある。
理解なんかしないで受け止めるだけ…インド人だってそうして生きているんだなと、しばしば感じる。
あまりにも、階級や生活レベルの差が激しいこの国で、「自分はどうしてここに居るんだろう」と考え続けると頭がおかしくなるだろう。
外からの基準でがんじがらめの人生を送るしかないのだから。
全てを「生れ」と受け入れ、「生れ」に徹して生きていく。
アンケート結果でインド人が世界で最も幸福感の少ない国民だと言うのを読んだことがある。
ここに住んでみると、無理もないと思ってしまう。

水道が通っていて下水道設備もしっかりしている日本。
公園に行けば水が出る設備もあるからホームレスだって、インドの貧困層に比べればダントツすっきり身ぎれいだし、物持ちだ。
肌の色もさながら、汚れて汚れて黒光りさえしなくなった人たちがここには、あまりにも多くいる。
創造物のかもしだす快適さのみを快適さと知り、創造物のかもしだす厳しさの中で生まれて、生きて、死に逝く人々。人なのかボロなのか…一目では解らないこともある。
全身、骨にぴったり張りついた褐色の弾力の乏しい肌。
ひと目で見るだけで、骨格の状態がすべて読めそうな生きた人間の身体。
それでも命のエネルギーは確かに宿っている。
目が、それを確かに語る。
そこに希望と喜びの光が、力強く宿る日のために私はやれるだけのことをやって土となりたい。

シーク教徒の多いこの界隈。ターバンを巻いた男性をたくさん見かける。
シーク教徒は、礼拝の後にみんなで床に座って食事を共にする。
みんなが同等だと示すためだという。
それでもやっぱり国の色的な上下の差は、日本で生まれ育った私には、はっきり感じとれる。
この界隈は、住人人口の割合によって差別がそれほど色濃くはないにしても…だ。

インドでは、住み込み使用人を雇っている家庭が多い。
夫婦とこどもで住み込んでいる人たちもたくさんいる。
向かいの家の2階は、女主人1人に対して使用人一家族4人という割合だ。
小学生位で住み込み使用人してる子だって、朝早くから車を洗ったり、お使いに行ったり、働いている。
こどもの労働は、法律上では禁止だ。
食べることが出来ないこどもが、盗みをはたらくのは切ない。
児童労働は、非行を食い止め、こどもでも食べていけるある種の手段なのだ。
良い、悪いの基準は環境によっても変わる。
本当は、全ての人がきちんと食事ができて、生活の最低限必要である住居、衣服、水等、人として生きるためのものが、皆に平等にある世界であることが答えなのだろう。

夕方、涼しくなると金持ちのこどもたちも使用人のこども達も、形容詞なしで「こども」でいる時間を楽しんで遊んでいる。
一緒に遊んでいるのも見かけるので、ホッとする。
身につけている洋服と言葉に出来ない何かで双方の区別は簡単につくにしても…だ。
私のワンコを愛しそうに撫でに来ては目を輝かせ、微笑みながら「ナマステ ジー」と手を合わせるのは、粗末でサイズの合わない洋服の使用人のこども達。
金持ちのこどもは、目もあわさない、あいさつなどしない、笑顔も見せない子がほとんど。
幸せそうで子供らしいのと両親の懐の具合は反比例しているのだと思わざるを得ない。
そして…まれに金持ちのこどもが私に近寄ってくると、使用人のこども達は、王に道を譲る召使いのようにほほえみを隠して、さりげなく静かに離れていく。
そこには、分別をわきまえすぎた幼少の者の姿がはっきりとある。

この国の皆が手を繋げるようになるには、300年で足りるだろうか。
全ての固定観念を『ビッグバーンで一つ』が、洗い流してしまう日が、いつか必ず来る。
その日に向かって、アクションあるのみ!
『エンスージアズム』!!!

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